これまで暗号資産は、金などの貴金属と同様に金融危機の時に資金の逃げ道となる避難通貨と見られていた。しかしコロナウイルスのパンデミックに端を発する金融危機において避難通貨の役割を果たしていません。今回は暗号資産がコロナウイルスによる金融危機で避難通貨となっていない理由を解説します。
避難通貨とは
避難通貨とは、金融危機の時に資金の逃げ道となる資産です。これまで避難通貨と見なされていたのは金や白金などの貴金属です。貴金属が避難通貨と見なされてきた理由は、各国の情勢や政治と切り離されていることが理由でした。そのため金融危機以外では相場が変動することは少なく、今回のコロナウイルスパンデミックのような金融危機の時に一気に高騰する傾向があります。
コロナウイルスパンデミック情勢下での日本円
日本円が避難通貨として見なされることもあります。実際今回のコロナウイルスパンデミックでも日本円は、一時期1ドル=102円を下回ることもありました。
しかし今回のコロナウイルスは各国の感染状況や医療の浸透率、コロナウイルスへの対策による影響で日々情勢が変わっています。そのため日本円も、1ドル=102円を下回った翌週に1ドル105円~108円程度まで円高が進んでいます。
暗号資産が避難通貨と呼ばれる理由
暗号資産が避難通貨と呼ばれている理由は、暗号資産の代表格であるビットコインやイーサリアムが非中央集権制を採用していることに起因します。非中央集権であるために特定の国の影響を受けにくく、貴金属同様に避難通貨として機能すると見られていました。
コロナウイルスのグローバル化
中国から始まったコロナウイルスですが、2020年3月現在ではオセアニア・欧米・南米・アフリカにまで広がっています。もはや特定の地域だけの疾病ではなくなりました。
また未解明な部分も多いコロナウイルスは、治療法も確立していません。このため人の流れおよび物流を司るサプライチェーンが寸断されています。どこの国でもさまざまな影響を受けるために非中央集権の暗号資産でも十分に機能しないと見なされた可能性があります。
機関投資家の参入
2019年頃から暗号資産に機関投資家が参入してきているのではないかという推測が複数の筋からもたらされていました。それを象徴するかのようにビットコインは、2019年に1BTC=100万円を超えるほどの高値を記録しています。
2020年になってからもビットコインは、1BTC=100万円以上を2か月近くキープしていました。しかしコロナウイルスが広がり始めた2月末から徐々に下落が開始し、3月中旬に1BTC≒50万円近くにまで落ち込んでいます。この下落の原因に機関投資家が、ボラティリティ(価格変動幅)の大きな暗号資産を嫌ったという憶測があります。
下落したのは暗号資産だけではありません。東京証券取引所でもニューヨーク証券取引所でも、多くの銘柄が下落しています。そして売却で得た資金はボラティリティの小さいアメリカなどの国債へと流れていると見られています。
ビットコイン半減期
2020年にビットコインは半減期を迎えます。具体的な日時はまだはっきりしませんが、5月頃だろうと推察されています。半減期で重要なのは、マイニング収入が半分になることです。マイニングをするためには電気代が必要なので、半減期で収入が減ると赤字転落する危険性が出てきます。マイナーが減ればトランザクションの処理にも時間がかかることになるため、マイナー以外にも影響が出ることになります。このため半減期前にはビットコインの価格が高騰するという仕組みです。
しかしこの仕組みが必ず想定通りに働くわけではありません。3回目となる2020年5月頃予定の半減期の前には、まだ半減期を想定していると思われる高騰が見られていないという問題を抱えています。このため本当に価格が高騰するのか疑問視されています。
新型コロナウイルス騒動の陰で発生したビットコイン相場の下落は、半減期前でも高騰しないビットコインを諦めたためという見方があります。
プラストークン
プラストークンとは、暗号資産を使った詐欺案件のひとつと見られています。元々金融商品には「絶対儲かる」「年利100%」などの過剰な宣伝が多く、2020年3月現在でも問題となっています。プラストークンも、高配当を謳ったウォレット案件でした。
ウォレット案件では提案者のもとに多くの資金が集まります。本来ならばこの資金を元手に事業を開始するのですが、そのまま資金を持ち逃げしたり売却したりするという危険性も存在します。プラストークンでも集まった資金を売却したために下落に繋がったという意見があります。
まとめ
2020年3月に発生したビットコイン下落の理由は、ひとつだけに決めつけるのは危ないかもしれません。複数の要因が複雑に絡まって下落に繋がるということも十分に考えられます。
正解か不正解かで考えるのではなく、ひとつひとつの事情を注意深く観察していく必要があるでしょう。